12.マウスの脳内に環境汚染レベルのBPAを投与すると神経伝達物質の量に変化が起きる

2004年に、「脳神経系の発達と内分泌撹乱化学物質」という論文がアメリカの雑誌に掲載されました。1920年から1930年代から使用されてきたBPA、PCB,DDTなどの内分泌撹乱化学物質は、第二次世界大戦で使用量が増加し、戦後(1950年代)生まれた子どもが1970年代に出産し、その子が成人した1990年代には、自閉症、学習障害、注意欠陥多動症(ADHD)などの疾病が増えたというものでした。このころ、国内でも、周産期(妊娠後期から新生仔早期)にBPAの暴露を受けた動物の性を司る脳部位の領域の大きさや行動に影響が表れたという報告が相次ぎました。BPAの暴露を受けない動物では性差があったのに、BPAの暴露を受けた動物では性差がなくなったという目を疑うような報告でした。

2013年頃は、我が国でも自殺者の増加、こころの病の増加、感情や行動の激化による小中学生の暴力事件の増加がマスコミで取り上げられていました。2012年のレビュー(世界中の論文や報告を集めて、総合的に解説する)では、周産期における内分泌撹乱化学物質の暴露は、子の自閉症やADHDといった精神疾患をを引き起こし、そのメカニズムとしては、甲状腺ホルモンや神経伝達物質の代謝を撹乱させるというものでした。

子どもの未来を考えるとき、内分泌撹乱化学物質がこころの病の引き金になるのであれば、脳神経系への影響についての研究を迅速果敢に取り組まなければならないと思いました。

この時期、私が子どものこころの研究センターに籍を置き、脳の生化学に興味を示していた博士課程の大学院生と共同研究ができたのは、私の研究生活上この上ない幸運でした。

ヒトの情動は、主としてセロトニンやドーパミンなどのモノアミンという神経伝達物質によって制御されていると考えられており、うつや不安など精神疾患には、脳内のモノアミンを調節する薬剤が使われているのです。

脳にBPAが存在した場合、脳の機能に変化が生じるかを知るため、マウスの脳の間隙に直接BPAを注射し、神経伝達物質の一種であるモノアミンの濃度を調べることにしました。血液中のモノアミン濃度を測定しても脳内の濃度を反映しないことが多々あります。そのため、BPAを直接脳内に注射し、血液中でなく、直に脳組織中の変化をみたのです。

出生後2日目の雄マウスの頭蓋内腔(頭蓋骨内にある脳のすき間)に環境汚染レベルのBPA注射して28日後には、海馬(大脳の一部で、記憶等を司る部位)でのセロトニン濃度の増加、脳幹(脳と脊髄の間にある組織、大脳皮質で処理された情報を脊髄に伝える役割を持つ)でのセロトニン代謝の高まり、線条体(大脳基底核の重要な構成要素)でのドーパミンとドーパミン代謝産物の濃度の増加が観察され、BPA注射により脳内のモノアミン代謝系に影響が及ぶことが明らかになりました。海馬でのこの様な変化は投与後7日でも観察されました。

ここでまた、不思議な、新たな結果が出たのです。注射した環境汚染レベルの低用量のBPAは脳内で検出されませんでした。環境中には存在しえないであろう高用量(環境汚染レベルの10-100倍)のBPA注射の場合でも、注射後5時間目の脳内でBPAは検出されなかったのです。

脳内でBPAはどうなったのでしょう。何らかの物質とくっついたのか、脳内に存在するラジカルで壊され、キノン体に変化したのか?知る由もありません。しかし、消失した環境汚染レベルのBPAは確かにモノアミン代謝を狂わせていたのでした。

その頃、海外の研究者からは、ヒトの精神疾患の一つである統合失調症と共通した所見がBPAの暴露動物で認められたという報告、ヒトが周産期にBPAの暴露を受けた場合、2歳児女児の反抗的行動傾向が高まるというショッキングな報告も出されていました。

 

引用文献

1)Matsuda,S., Shizuko Saika,S.,  Amano,K., Shimidzu,E and Sajiki,J.,  Changes in brain monoamine levels in neonatal rats exposed to bisphenol A at low doses. Chemosphere, 78:894 (2010)