9.海水中で、BPAは壊れる

タンパク質、炭水化物、脂肪などの栄養素は、体に入ると体の中の様々な酵素の働きで小さな分子に分解され、それが筋肉や骨の原料となり体を作っていくのです。

ところが、油に溶け水に溶けにくい化学物質の多く(カドミウムや有機水銀などの重金属、ダイオキシンやPCBなどの有害化学物質など)は、体内に取り込まれた時、すべての組織中の脂肪内に蓄積されるのです。そして、癌をはじめとする様々な病気の発症にかかわっていると考えられています。

BPAも油に溶けやすい物質ですが、少量の場合は、水にも溶ける性質を持っています。動物実験では、BPAが体に取り込まれた場合、肝臓でグルクロン酸とくっつき(グルクロン酸抱合体になる)、ほとんどが尿や糞中に排出されると考えられています。しかし、前に述べたように、BPAはメトヘモグロビンなどの生体内物質とくっつきやすい性質があります。一部は生体内の物質と結合して生体内にとどまる可能性は否定できません。BPAはメトヘモグロビンの外、DNAとくっつくという結果も報告されています。

ポリカーボネート(PC)製の試験管を用いて、BPAの溶出試験を行っていた時、また、奇妙なデータが得られたのです。海水中にBPAが溶け出しやすいことが判明しましたので、蒸留水に海水に含まれる可能性のある化合物を添加して、PC試験管からの溶出実験を行っていた時です。生体物質の一つであるリン脂質を加えるとBPAの試験管からの溶出量が減少し、さらに3%の食塩を加えると(海水濃度の食塩です)さらに溶出量が抑えられたのです。BPAが溶け出しやすい海水中に脂質の成分があると、BPAのプラスチックからの溶出はむしろ抑えられるのです1)。すなわち、生体物質を含んだ海水では、BPAをめぐって様々な現象が生じているようです。

海水と同濃度の食塩水にリン脂質を加えると、BPAの試験管への溶出が抑えられた原因を知りたくなりました。、海水中に良く溶け出すBPAが肝心な自然の海水からは検出されないという、これまで不思議に思っていたデータも実験を遂行する後押しをしました。

BPAのPC試験管からの溶出量は、リン脂質の構成成分である脂肪酸の種類により異なるのです。ステアリン酸のような飽和脂肪酸が存在してもBPAの溶出速度は変化しないが、リノール酸のような不飽和脂肪酸の存在下での溶出速度は減少しました2)。

生体内に存在する活性酸素(反応性の高い酸素)とリン脂質の構成成分である不飽和脂肪酸が反応すると、過酸化脂質を生じ、生じた脂質ラジカルが様々な疾病を引き起こすことが知られています。果たして、BPAの溶出量が減った不飽和脂肪酸の入った試験管内では、過酸化脂質が生成されましたので、BPAの試験管からの溶出量が減った原因は、BPAの溶出が抑えられたのではなく、自然界で生じる活性酸素や脂質ラジカルが試験管から溶出してきたBPAと反応してBPAが壊れ、結果としてBPAの量が減少したのだと思われました。活性酸素とせず過酸化脂質を生じないステアリン酸(飽和脂肪酸のひとつ)を添加してもPC試験管に溶出してきたBPAの量は変化しなかったのです。この事実も、BPAは脂質ラジカルで壊れることを裏付けました。

次は、BPAは本当に自然界で壊れるのかを検証する必要があります。鉄と過酸化水素を反応させると実験的にラジカル類(ヒドロキシラジカル、スーパーオキシドアニオンラジカルなど多くが知られている)が得られます(フェントン反応という)。そこで、量の決まったBPAをラジカル類の発生している液に添加したところ、予測した通りラジカル類の量に比例して、BPAの濃度が低下しました2)。

自然界に存在するラジカル類でBPAが壊れることが明らかになった時点で、自然の海水からBPAが検出されなくても、海水中にBPAが溶け出していないことの証明にはならないのです。すなわち、海水中では、プラスチックからBPAは溶出されるが、壊れている可能性が考えられるのです。

食塩水にラジカル類を反応させると新たな種類のラジカル物質(塩素ラジカル)が発生します。この塩素ラジカルはメチオニンというアミノ酸で消失することが知られています。そこで、フェントン反応液(ラジカル類を発生させた液)にBPAとこのアミノ酸を加えたところ、ラジカル類によって壊され、減少するはずのBPAが壊されず残っていたのです。この結果は、海水中で塩素ラジカルが生じており、BPAがそのラジカルにより壊されるためBPAは検出されない可能性を示すものでした。

プラスチックから海水中に溶出したBPAは紫外線などによって生じた様々な種類のラジカル類で壊された可能性があるのです。私が海から採取した海水は海の表層部分だったので、溶出したBPAは紫外線により壊されていたのかもしれません。紫外線の当たらない深層部分で、BPAが検出されるのかとても興味がありましたが、その当時の私には深層水を採取する技術は持ち合わせていませんでした。

もうひとつ興味深い知見があります。フェントン反応で生じさせたラジカル液にBPAを加えるとBPAが壊れることを前述しましたが、さらに血清に含まれるリン脂質や血清蛋白質(アルブミンとガンマ-グロブリン)を加えるとBPAは壊れにくくなったのです。また、蒸留水の代わりに自然の海水でフェントン反応を起こした場合、壊れたBPAの割合は添加したBPAや鉄の濃度によって異なり、それらの濃度いかんで壊れる量が異なること事も明らかでした3)。

海水中におけるBPAの壊れる量は海水中に含まれるBPAや鉄、蛋白質など、様々な成分によって左右されるものと思われます。

引用文献

1)Sajiki,J., Yonekubo,J, Leaching of bisphenol A (BPA) to seawater from polycarbonate plastic and its degradation by reactive oxygen species. Chemosphere,  51 (1):55-62 (2003)

2)Junko Sajiki and Jun Yonekubo, Leaching of Bisphenol A (BPA) from Polycarbonate Plastics (PCP) and its Degradation by Reactive Oxygen Species in the Environment, Environmental Resarch Ed. Emma B. Davis, Nova Science Publishers, New York, p1,2005

3)Sajiki,J., Yonekubo J, Inhibition of seawater on bisphenol A (BPA) degradation by Fenton reagents  Environment International, 30 (2) 145-150 (2004)