5.市販の研究用の牛血液とヒト血清中に見つかったビスフェノールA(BPA)

私が最初に行った研究は、BPAがどのくらい環境中に存在するか知ることでした。とくに我々の体に!ヒトの体の中で、研究的に自由に使える組織は血液です(もちろん本人の許可が必要ですが)。血液といっても液体の血清と赤血球などの固形物からなっており、簡単に分けることができます。

血清中のBPAを測定するのが先決と考えました。測定するためには血清中のBPA測定法を正確に確立する必要があります。そのためには、測定に用いる機器(高速液体クロマトグラフ)を使用して、血清に決まった量のBPAを添加した場合、決まった量が正確に測れるかを検討しなければなりません(添加回収試験といいます)。添加回収試験を行う際、試験の度にヒト血清を採血で準備するのは痛みを伴います。そこで、実験材料として販売されている牛の凝固阻止剤が入った血液を使用することにしたのです。

ここで、信じられない事件が発生しました。試験に用いるために購入した血液の液体部分(血漿)から異常に高い濃度のBPAが検出されたのです(599ng/ml、ヒト血清の汚染濃度の1000倍以上)。私どもが採血した直後の羊の血漿中からBPAは検出されませんでしたし、いくら何でも、自然に飼育されている牛の血液が信じられない濃度のBPAに汚染されているとは考えられませんでした。当時、販売血液はガラスの瓶に入っていましたので、プラスチックの関与は不明でしたが、おそらく、工場内における血液の処理過程のどこかでポリカーボネート(PC)プラスチックが使用されており、そこからBPAが血液中に溶出した可能性が高いのではと思われました。この牛血液は実験用で、細胞培養などに使用するために供給されていました。前項で述べたスタンフォード大学の事件のように、細胞試験で予期せぬ結果が出た場合、BPAの仕業と気づく研究者は、その頃多くはなかったでしょう。これは、大切なデータなので、牛血液の製造業者に詳細に説明しました。その後、企業でどのように検討、善処されたかどうか、私は知る由もありません。

20世紀末の日本人の血清中のBPA濃度の平均は女性が0.33ng/ml男性が0.59ng/mlと低い濃度でしたが、人体がBPAに汚染されていることは明らかでした1)。

ヒトの血清中では、BPAは他の成分と結合することなく、そのままの形で存在するため、BPAの測定は比較的簡単です。一方、赤血球中では、わずかに含まれる酸化型のヘモグロビン(ヘモグロビンに含まれている鉄が酸化されたものでメトヘモグロビンと呼ばれる)と容易に結合するため、赤血球中の結合BPAの濃度を測定するのは困難です。そこで、赤血球中のBPA測定法を確立させて測定した結果、ヒト赤血球中には検出されませんでした。しかし、前述のBPAで汚染されていた市販の牛血液中の赤血球中濃度は、54ng/mlと血漿中の濃度の約1/10で、血液がBPAで汚染された場合、血漿だけでなく、赤血球も汚染されることが明らかでした2-3)。

これらの一連の実験は、BPAに高濃度汚染されていた牛血液を購入したことで得られた貴重なデータです。

引用文献

1)Sajiki, J., Takahashi,K. and Yonekubo, J., Sensitive method for the determination of bisphenol-A in serum using two systems of high-performance liquid chromatography, J.Chromatogr.B, 736: 255-261 (1999)

2)Sajiki, J., Yonekubo, J., A decline in BPA recovery in the presence of hematin and an inhibitory effect of serum proteins, Environmental Science, 8: (2-3) 162(2001)

3)Sajiki, J., Determination of bisphenol A in blood using high-performance liquid chromatography-electrochemical detection with solid-phase extraction, J.Chromatogr.B, 755:9-15(2001)